旅LIFE 真っ白な切符

自身のメモ帳 途上国生活で0からどこまでやれるのか 特に内容も決めてないので毎日更新目標に。主には環境、国際協力、教育。one day one pic も目標。

何かを突き詰めることは基本的にマニアックな話になりがちだけど、そんな話の中でもきちんと万人にわかりやすく伝えられるのがプロって感じがする。それでもたまに溢れる誰もわからないだろって話も、こちらもわからないなりに楽しめるからやっぱりプロなんだなって思う。聞き手をいかに引き込むかはその人の人となりや考え方がわかった方がより伝わるから話は自分流が前面に、文書としては興味ない人も見る可能性があるからわかりやすく、余計なものを削ぎ落とすことも大切だと学んだ一日。

このブログではそんな感じにできてるのかなと振り返ると明らかに自分流前面に出てきて読み手がつまらないだろうなと思いつつ、それはまだまだ自分がアマチュアで仕方ないこと割り切る。

この文が多くの人に読まれることになったら変わるのかもしれない。

けれどそれはもっと先の話な気がするし、一方で少し時間を見つけては文章の校正をしていく時間を作っていこうかな。

 

先日、写真家 伊賀孝さんの写真展「mania」に行ってきました。

伊賀さんは富士山、山伏、そして今回はブラジルをテーマとした写真をとっていますが、どの写真も力強い作風で引き込まれる写真でした。

特に格闘家の写真は躍動感があり、同じく柔術家でもある伊賀さんにしか撮れない写真となっていて、作品は作者を映す鏡とはよく言ったものだと思います。

 

またこの写真展のもう一つの目玉といえば、伊賀さんが招待した別の方とのトークです。

自分が参加したのは、鹿野貴司さんとの「地域の巻き込み方」

 

これはおもろいテーマだなと思いまして、写真家と地域ってなかなか結びつかないと思うんです。

個人的な意見になりますが、特に写真は見る人が限定的になると思うのです。

あるテーマを決めると基本的にそのテーマにあった人が訪れ、興味がないひとは見ていこうとは思いにくい。

例えば、テーマが富士山だったとして、パーソナルな面をあげれば山好きやアウトドア好き。地域で言えば、山梨県静岡県。と言ったようにある種限定的なものになってしまいます。

逆にテーマを広げすぎても写真本来の魅力が薄れてしまう気がして難しいのではと思ったり。

 

だからこのテーマがすごく気になってトークまで参加した。

結論から言うと、町興しの一環として鹿野さんが早川町の住民や風景をとって写真集にするというものだったのですが、そこまでの流れが強運的で誰しもが真似できるようなことではなかったけれど、ただ一つ思うのは、”写真屋”としてなんでもやり続けた先にあったものだったのではという印象。

鹿野さんは「自分より上手い写真家がこういった写真集をとってくれるならそれはそれで満足。ただ、やる人がいなかったから自分がやった」という内容のことも仰っていてそういった考え方は大切であると感じました。

 

特に協力隊の活動においては。

 

需要やそもそも活動がないかもしれない派遣先において自分ができることでやれることは非常に大切だと思っている。

自分がやりたいと持って行う活動も大切だけれど、それと同じくらいフレキシブルにやることは大切。

自分がやりたいと思ったことはすでに誰かがやっていて、そこから先を考えることだってあるかもしれないからね。

 

もう一つ自分が気になったのは写真家としてのカラー。それぞれの信条のこと。

伊賀さんは、撮りたいと思ったものの中に入っていき、コミュニケーションをとりつつ撮影していくタイプ。つまりは草の根。

鹿野さんは自身を覗き屋と言っていましたが、つまりはよそ者。

これはどちらも協力隊に共通することであり、そして自分が悩んだ立場でもあります。

どちらの立場として接することがうまく活動を回せるのか。

当時はめちゃくちゃ悩みました。そしてその答えは自分の中で出せていませんでした。

なので思い聞いてそのことについて質問して見ました。

「どちらの立場を貫こうと思ったきっかけとかありますか。」

ということを。

 

その話の中で印象に残ったのは、伊賀さんの話。「自分はコミュニケーション表現があって、写真及び武道。どちらもノンバーバルなコミュニケーション表現で、自分にはそれがあって語学があまり伝わらなくても会話ができた。そういったことを通して活動をつなげていった。」

鹿野さんの話。「よそ者であり続けたのは、中に入ってしまうと撮れなくなる写真がある気がしたから。」

 

共通することは写真家としてのコンセプトだと思う。

 

さらにそれを強調する質問があって。「大金を得たときに作品が変りますか」

といった内容のもの。

 

つまりは、働かなくてもいいくらいのお金が手に入ったとして作風が変わるのかということ。

 

お二人とも「「Noだ」」と。

 

伊賀さんの場合、根底にあるのがジャーナリズムで写真を通してまた本を通して伝えたいことを、多くの人たちに伝えるということ。

また編集者としてのキャリアを持つ鹿野さんも同様に伝えたいことがあるから写真を撮る。

これはお二人が持つ表現媒体を通しての思いだなと感じました。

 

 

さて、自分は協力隊を通してスリランカ人に、今度はボツワナ人に何を伝えたいのだろうか。

と考える。

 

これは変わっていなくて、環境教育を通して考える力や話し合いの場の向上というテーマがある。

基本的にはゴミ問題の解決を数値的に表すことが大切だと思うのだけど、自分はあくまで教育として関わって行きたいので学校教育や行政なんかでも、いかにゴミ問題を通して議論しトライしていくかを大切にしていきたい。

数値化するのが難しいのでうまくいかないことも多いのだけれどできる限りやり続けていきたいな。

 

 

ボツワナに行く前にそれが確認できただけでもよかった。

素敵な写真、素晴らしいトークありがとうございました。

 

 

f:id:blank_cheque:20190811120752j:image