少しでもやりたいなと思ったら、幹事でも予約でもやってみてめんどくささも楽しんでそんな気持ちになれるように自分から変えていったほうが相手の連絡まったり合わせたりする方がめんどくさいから自分の権限で取捨選択したほうがよっぽど物事はスムーズにいくと思う。それに自分が受け手側だとして日程が合わなくなってもしょうがないかと思えるから相手からしても多分同じだと思うんだよ。つまり何が言いたいかというとやりたいことには積極的な年にしようということ。
賽助シリーズ第2弾 「君と夏が、鉄塔の上」を読んでみて感じたこと。
昨日に引き続き、賽助さんの作品について書いていくけれど、細かいことはネタバレになるので書きません。気になる人は読んでみましょう。この作品もとても良いです。
つるむきっかけていうのは突然訪れるものであって、それは共通の音楽だったり、好きな芸能人だったり、部活や会社などたまたま同じコミュニティに入っていたり。
そういうきっかけがこのお話では鉄塔であり、お化けであったりする。
全く接点のない3人がこのきっかけを通し仲を深めていく。
高校生というだけでも多感な時期だというのに夏というのはより一層開放的になるのか。
でもこのきっかけを通して体験した思い出っていうのは何物にも変えがたい本当に貴重なものなんだと気づく時が来る。
今回スリランカから任国が変更になり、同期と呼ばれる人たちは散り散りになってしまう。今はまだ実感がわかないけれど、数ヶ月もするとスリランカでの生活が夢だったように、ボツワナに溶け込んでしまうのだろう。
学生時代の思い出はどうだろうか。
学生時代あれだけ毎日一緒にいた人たちも年に数回程度しか会わなくなった。
それは自分がこんな活動をしているから当たり前でもあるけれど、当時は同級生というのは永遠に思える人たちだったと思う。
基本的に自分の周りの人たちはきっかけの連鎖で繋がって行く人もいれば切れてしまう人たちもいる。でもそれは物理的なことであって、縁というものは切れていないと自分自身は考えている。
誰かとのつながりを忘れてしまうこと仕方ないけれど、両方が忘れてるってことはあるのだろうか。
忘れてしまっていたとしても心では覚えているものがあるのではないか。
本編で付喪神が出てくるけれど、大切にしてもらったものは主人が捨てても念としてものに残るという。
物だけでなく人も同じことだ。
だから、この人が気になるとかもっと話して見たいとか思ったら、適当な理由つけて話してみるといい。案外お化けなんかでも繋がれることがある。
ただ、無理をして繋がる必要もないからそこは互いのリズムをみよう。
この物語はファンタジー青春小説で心温まる作品だ。
だから、きっとこんな複雑なことを考えなくてもすっと心にしみる作品。
じりじりと暑いこんな夏に一冊読んでみるのは如何でしょう。